組織は、「細胞」と「からだ」に例えることがあります。 細胞については、学術的に説明する能力は持ち合わせていませんが、基本的には、核を中において外部と内部の境目に、細胞の皮ともいえるような壁を持っています。これは細胞膜というものですが、この膜がすごいのは完全に膜外、細胞外との行き来を遮断しているわけではない、ということです。細胞自身は自分の殻に閉じこもらない、とも言えるのです。 細胞は細胞同士がお互いに自分の活動、他者の活動がそれぞれ決められたようになされるわけです。しかし、バラバラの細胞が自立できるはずはなく、そこにはどこかで統制という作業が行われているはず・・・ですね。 で、その統制というパワーは、どこから湧いてくるのでしょう。生理学的なお話は避けるとして、考えてみますと・・・と考えてみても分かりませんねぇ。でも、間違いなく統制が取れない細胞群は、存在できないものだと思いませんか? だって、単独の細胞は世の中にはないわけではないのですが、その細胞の持つ目的というのは“ただ生きることのみ”じゃないですか? 生きることだけの細胞は、それ自体に何の咎めもできません。だって、その生きること自体が崇高なことでもあるからです。ですが、生きるという意味を考える一つ上のステージから眺めてみますと、生きるということだけで良いのでしょうか? 単細胞をとりまとめる統率力があってこそ組織が生きるのです。その組織こそ単に生きるということを突き抜けた崇高な“目的”というもの持つのでしょう。その組織は、常に目的を意識して活動をするのでしょう。それが、経営においては、経営理念と呼ばれているものです。そして、それこそが統制のとれた組織体に対する信頼というものを集めることが出来るのでしょう。最近の話題となっている「JR北海道」という組織をあなたはどう思われるでしょうか? その組織の経営理念には『お客様の安全を最優先に、安心してご利用いただけるサービスを提供するとともに、お客様の満足と感動の実現をめざします。』云々とありました。 (戸村修)