小暮 英夫


80歳まで地域社会に貢献することを目指す?


一般

有限会社 小暮シグマ研修

取締役社長

<少年自衛官からIT業界へ転身>
私は与野市南中学校を卒業後、航空自衛隊生徒隊(熊谷基地内)に15歳で入隊し、卒業後下士官として昭和42年より宮崎県新田原基地にてF104戦闘機の火器管制装置整備の仕事をしていましたが、20歳の時に父が他界したため埼玉へ戻りました。
自衛隊を退職後、次の職を考えるため先に退職していた友人(現在、従業員255名のITソフトベンダー企業の代表取締役)に相談したところ、 コンピュータ産業か航空産業が伸びるとのガイドでコンピュータ産業を選び、民間社会への復帰のリハビリを含めて池袋の東京電子専門学校へ2年間通い、昭和 46年1月に日本IBM㈱へ横浜のデータセンターのオペレータ(タビュレーティングマシンやsystem360-M40)として途中入社しました。
入社後データセンター運用、テストセンター運用、社内システム開発導入運用を経験後にシステムズエンジニアに転身して日本銀行、郵便貯金、国 税庁等のコンピュータシステム構築(意思決定支援システム、特にEUC分野)を経験しました、退職前の5年間は公共・公益サービス事業部のスタッフとして 経営支援業務に携わる、その間ISO9001認定取得プロジェクトの責任者として認定取得する間に財団法人日本規格協会の「品質システム審査員補」とな る、また事業部長の経営方針である「日本経営品質賞・アセスメント基準書」に従った経営を13名の部長に浸透させる間に経営品質協議会認定「セルフアッセ サー」となる、この間に品質マニュアル作成作業によるISO9001の理解やアセスメント基準書に従った経営の成功体験を経験することが出来ました。
55歳で早期退職者募集に家庭環境が許されたため応募して円満退社しました。
退職後は、地元で働きたいと思い、1年ほど日本IBM㈱の関連会社の地元与野駅近くの現場に1年間の約束で通勤し、その後は地域社会に貢献し たいと思い、自分の経験は何に役立かを考え、企業とITベンダーを結ぶITコーディネータ資格を知り、これであれば自分が社会に役立ことが出来ると思い資 格を3回の受験でやっと取得し、その後に地域社会からの信用を得るために㈲小暮シグマ研修を設立して8年がたちました。
<「ITコーディネータ」として橋渡し役として働く>
中小企業のIT(情報・通信技術)活用を支援することを目的に「NPO法人埼玉ITコーディネータ」と「NPO法人モノづくり応援隊in大田 区」の設立に参加して、中小企業へ経営に役立つITの利用と身の丈にあったITシステムの導入支援を目指して活動して多くの中小企業様とお付き合いするこ とが出来ました。 その経験から中小企業の多くは社長自ら、社内のITシステムを管理していたり、ひとりの担当者へ任せたままなど、その人がいなくなると作業が進まなくなっ たりすることが多い事を知り、自分にも役立つ分野がある事を再認識しました。
一方IT活用の重要性を理解している若手経営者が増えていることも確認できました、そこで、企業はITシステムに何を求めるか、ITベンダーは何が提供できるのか、お互いに正しい情報を伝えることが重要であることを強く再認識することができました。
この経験を埼玉の企業が求めているものを整理(RFP)して、企業とITベンダー業者の橋渡し役となって、企業の経営改善、業務の効率化実現を支援して結果として地域社会に貢献できればよいと考えています。
80歳までは企業へのIT経営支援も含めて地域社会に関わって仕事をするために「埼玉県経営品質協議会」に入会して運営員、20歳から現在 まで続けているボーイスカウト指導者仲間の紹介で「公益社団法人 浦和法人会」に入会して理事(中央区支部役員)として活動することが出来ています。
有限会社 小暮シグマ研修 取締役社長 小暮 英夫